complete社が提供している2010年3月現在のサイトアクセス解析では、FaceBook社とTwitter社の公式サイトへのユニークビジター数を比較からは、
- FaceBook 132,040,907
- Twitter 21,287,217
もっとも、Twitter社は、Twitter APIを公開している。その結果、サードパーティーによるさまざまなブラウザが開発されており、ヘビーユーザになればなるほど、さまざまな機能を持ったサードパーティー製ブラウザを使う傾向が高い。実際、Twitter社の発表では、ユーザのトラフィック全体の75%がサードパーティー製ブラウザから行われているそうだ。その為、公式サイトへのユニークビジター数の比較は、余り当てにならない。(それでも、2100万人だけど)
もっとも、FaceBook社の公式サイトへ1億3000万を超えるユニークビジター数があるという事実は、2008年の日本の人口1億2700万人(世界10位)であることを念頭に置けば、極めて大きなネットワークが存在していると認識すべきだろう。
FaceBook 社のサービス
FaceBook 社のサービスは、元々、大学内に居住する寮生たちの名簿のようなコンテンツがベースになっている。つまり、現実世界での学生同士の繋がりが、ネット空間に直接持ち込まれた結果、「顔見知り同士のネットワーク」が出来上がった。
FaceBook ユーザは現実世界に存在する人物その人なので、興味本位のなりすましや真偽の不確かな情報の流布を行えば、直接、そのユーザの「信頼や評判」が崩れることになる。その為、そこでやり取りされる情報は、仮に思い込みのようなものであっても、実在する人物から発信された「(信じてみるだけの価値がある)質の高いコンテンツ」になった。また、そのような「(現実世界に存在する人物その人であるという)存在証明」が行われた学生同士の繋がりは、「(ある程度の)信頼に値するコミュニティー」、つまり、ソーシャル・ネットワークになっていった。
FaceBook 社は、2006年9月の一般公開後も、
- 「質の高いコンテンツ」
- 「信頼に値するコミュニティー」
FaceBook サービスを利用するには、以下のようにする。
まず、新規登録を行う。新規ユーザは、既存ユーザに知り合いがいるかどうかを確認される。既存ユーザが見つかった場合は、既存ユーザは、新規ユーザに対する「認証」を求められる。この「認証」を行った人間関係は、それぞれのユーザを紹介するページで明示的に表示される。
実は、この「認証」こそ、「信頼に値するコミュニティー」の維持を目的とした重要なプロセスになっている。つまり、既存ユーザは、自らの「信頼や評判」を損なわないように、新規ユーザを確認し、新規ユーザの「存在証明」の役割を担うことを、意識的に、無意識的に求められるからだ。もし、あるユーザが不正な行為をしたとするとどうなるだろう。そのユーザが、あなたを紹介するページで明示的に示されることを想像してみて欲しい。
一方、サービス利用者は、あるユーザと別のユーザとの明示的な関係をみることで、ソーシャル・ネットワークを広げることができる。
「携帯電話による存在証明」の中で紹介した「ソーシャル・メディアと携帯電話の関係」のグラフは、FaceBook世代(the FaceBook Generation)のような言葉の意味を正に裏付けている。
FaceBook世代 授業中にも携帯電話でのメールを欠かせない世代を指す。FaceBook社のサービスは、携帯電話を使うことで活発化している。このことは、間違いないだろう。つまり、携帯電話は、FaceBook ユーザたちの繋がる機会創出を行い、より多くの情報とその情報の広がる範囲を拡大させているようだ。
「携帯電話を使ったメール交換が社会問題化した日本」
「携帯電話を使ったメール交換が社会問題化した日本」では、FaceBook ユーザたちの特性を想起しやすいのではないだだろうか?
そこで、FaceBook ユーザの繋がりを乱暴に仮説してみる。
まず、「同じ価値観、あるいは、同じ文脈」を共有する人たちが作る人間関係がある。その人間関係を集団として捉えると、それぞれの集団は、ある価値観を共有しているだろう。例えば、同じ地域の出身であるとか、同じ学問を学んだとか、同じ倶楽部をやっているとか。ただし、この価値観だけでは、ひとつひとつの集団は大きすぎることは間違いない。そこで、価値観、好み、相性のような人間性が大きく関わってくる。そうすると、途端に小さな集団になるはずだ。
ひとつひとつの集団の繋がりは、本来、比較的、安定しているはずだ。集団に関わる人たちが、現実世界からネット世界に移動してくる時期を過ぎると、新規の人間関係が追加される可能性はさほど多くないだろう。しかし、ある集団と別の集団を繋ぐ関係が一つ増えるだけで、人間関係の繋がりは大きく広がることになる。
一方、FaceBookサービスは、ある集団と対立するような別の集団が使うこともあるだろう。
しかし、見方を変えれば、対立軸にある集団は、その対立関係を含めたより大きな集団として捉えることができる。その結果、情報交換をどれだけ頻繁に行うかを別にすれば、FaceBook ユーザの繋がりに、一定の価値観による分類が可能なように思われる。
FaceBook社のGraph APIは、こうしたユーザの繋がりを裏付ける解析に役立つだろう、と思う。
対等のネットワーク
では、ソーシャル・ネットワーク・サービスとして見たとき、
FaceBookは、Twitterよりも優れているのだろうか?斉藤透さんのブログ「TwitterとFacebook,どちらが世界最大のソーシャル・ネットワークになるのか?」では、後発のTwitter 社の成長が大きく、現在の成長率が半年続くと、月間訪問者数で、Twitter 社が、FaceBook社を追い抜くそうである。
斉藤透さんは、世界最大のソーシャル・ネットワークになる上で、世界中のインターネット利用者(中国を除く)のうち、15億人の上限を前提に話をされている。
勿論、利用者数が多い方が勝ちという判断が、「優れている」を決めることにはならないと思う。
僕は、Craig Newmarkさんの「信頼と評判」の中に出てくる「対等のネットワーク(peer networks)」を実現するソーシャル・ネットワーク・サービスにどちらが近いか、という点で、この優劣を判断したいと思っている。
…この時代の終わりまでに、力と影響は、資本とわずかな力を持つ人々から、最も高い評判と信頼のネットワークを持つ人々に大きく変化するでしょう。つまり、対等のネットワーク(peer networks)では、草の根から現れる人々に当たり前のように相談するようになります。この切り口から両者のサービスを比較してみる。
まず、FaceBookのサービスの本質は、
「同じ価値観、あるいは、同じ文脈」に「依存」の人間関係にある、と思う。
その為、これまでの価値観や文脈を違えることになると、煩わしい人間関係が邪魔になってくる。勿論、そうした対立する価値観を背負って発言することを非難するつもりではない。然し、社会には、さまざまな力関係があり、その力関係の中で、同じ言葉であっても、同じように人の心に届かないことがあるのではないか、と思う。
一方、Twitterのサービスの本質は、
「同じ価値観、あるいは、同じ文脈」に「非依存」の人間関係にある、と思う。
その為、様々な価値観の言葉が飛び交い、同じ言葉でも、意味や解し方を巡って議論が絶えない。勿論、Twitterがそもそも議論をするのに適したツールであるかどうか、は怪しい。然し、Twitterの口コミ的な広がりだけに着目することには、否定的にならざるを得ない。Twitterは、「さまざまな価値観、あるいは、さまざまな文脈」に置かれた人の考え方を教えてくれる。
現在、Twitter 社のサービスには、とても大きな課題がある。
それは、
「存在証明」と「匿名」だ。
「存在証明」=「実名」と言うつもりは、さらさら無い。
「実名」は、「対等なネットワーク」での「対等な会話」を阻害することがある。「実名」であることは、どのような立場からの発言に対しても威圧的な要因になりうる。むしろ、「匿名」のまま発言できる仕組みが残されるべきだ。
総務省が、国民IDの議論に本格的に取り組み始めていることから、「存在証明」を行うことは、比較的近い将来に、実現するかもしれない。
FaceBook社は、ユーザの「存在証明」によって、
- 「質の高いコンテンツ」
- 「信頼に値するコミュニティー」
そうした条件が満たされた場合、ソーシャル・ネットワーク・サービスとして、どちらが優れているか、歴然とした答えが出るだろう、と思う。
見知らぬ人の言葉が、よく知る人の言葉より、必ず優れている保証など無い。むしろ、問題に対して同じ距離で向き合えることで、得られた情報の価値を冷静に評価できるようになるはずだ。
米国の国会図書館では、「Twitter上で発信されたすべての呟き(Twitter社の創業時に遡ってから現在に至るまでのすべて)を保存すること」を決めたそうだ。
僕は、ソーシャル・ネットワークは、「対等のネットワーク」の中に作られていく、と思う。
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