2010年4月4日日曜日

コミュニティーとコロニー

コミュニティーとコロニー
Twitterは、どちらに近いのだろうと疑問を持つことがしばしばある。僕の中では、ソーシャル・ネットワーク・サービスそれ自体は、コミュニティーであるべきと考える。しかし、その実体はどうかと言えば、冒頭の対立軸が生まれる。

コミュニティー(community)の定義は、広義には、
  • (地域)共同体
  • (地域)社会
  • (共通の利害を持つ)社会、団体、グループ
狭義には、
  • 群落(生態学)
がある。

一方、コロニー(colony)の定義は、広義には、
  • 植民地
  • 植民国家
  • 居留地(同じ民族や思想を持つ人から構成される)
  • 共同体(共通の職業や目的意識を持つ人から構成される)
狭義には、
  • 同じ種類の動植物が共生している状態(生態学)
  • 単細胞生物の集まり(微生物学)
と言える。
一見、どちらにも似たような概念を含んでいるようにも見えるが、
意識的な統治
という切り口で境界を引けないかと思う。共同生活を考えた場合でも、同じ空間を共有する者同士でルール設定をする場合と、しない場合。僕の考えでは、コミュニティーとコロニーで分けられる。

「無縁=freedom」という切り口から社会を捉えようとすると、都市伝説のような感覚だけが蔓延するように感じるので、個人的にはあまり共感を覚えない。僕は、「縁」とは、人と人の偶発的な出会いと捉える。こうした発想の背景には、仏教的な思想が影響しているのだろうか?どのような背景があるにせよ、偶発的な出会いに感謝することはあれ、その出会いの上に何を築こうとするかが大切なのではないだろうか。

偶発的な出会いによって、コロニーが発生したとしても、そこに関わるもの達が「意識的な統治」を指向すれば、コミュニティーに変わっていくことは、可能と考える。

その為に必要なものは何か?
正論としてのメッセージ
では無いだろうか?こうしたメッセージを出し合い、そこにより建設的なルール設定が行われることが望ましいのではないだろうか?

「無縁=freedom」は、「freedom=自由」に改めておきたい。

自由には、以下のような定義がある。
他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。

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