複数の辞書にあるパラグラフの解釈文をみると、概ね、以下のようになる。
- 文章を節または段落にわけること。
- 新聞・雑誌などの短い記事を書くこと。
- 寸評を書くこと。
- 簡潔にまとめること。
- 文字量の制約の中で書かれているか?
- 引用・参照を含んでいるか?
- 発信者の立場はどこにあるか?
文字量の制約の中で書かれているか?
文字量の制約を受けることで、多少なりとも、パラフレーズする必然性が出てくる。例えば、Twitterでは、140文字以内というの文字量の制約がある。その為、パラグラフは、頻繁に起こる。また、文字数を減らした表現が増える。
多謝。同意。爆。笑。のような表現をはじめとして、
僕は夕飯を食べたから、お腹がいっぱいだ。(20文字)
夕飯を食べて満腹だ。(10文字)のように、文意を残しながら縮約されることが多い。この際、前後の会話の流れから推測可能な要素は省略されることが多い。これは、日本語の特性で、俳句のようなものは、その典型的な表現だろう。然し、このような特性が、パラグラフが行き過ぎると、何かと問題を生むことが多い。
引用・参照を含んでいるか?
文字量の制約の中で引用・参照を行うことから、その選択には、パラグラフの書き手(情報発信者)の恣意的な選択が委ねられる。その際、重要なことは、引用・参照の原典となる情報が参照可能かということ。
例えば、ある事件を伝えるパラグラフがあったとする。そのパラグラフには引用があり、その引用の原典を参照できない場合、このパラグラフの信頼性は怪しいものになる。だから、引用も無いのに、
信頼できる筋、消息筋といった表現が含まれる情報を鵜呑みにすることは危険きわまりない。
発信者の立場はどこにあるか?
最終的な情報の価値を決めるのは、発言者のスタンスが明確に示されているか、だと思う。
情報発信者と情報内容が同じとは限らない。この点は、パラグラフが繰り返されると、深刻な内容変質を引き起こす。
夕飯を食べたから、僕はお腹がいっぱいだ。
夕飯を食べて満腹だ。それぞれの文章が、発言者(僕)が明らかな状態で引用された場合を考えてみる。
前文では、発言者(僕)が空腹であることが判る。
後文では、誰が空腹であるか判らない。勿論、引用文の原典が参照できる状態であれば、その情報の信頼性を見いだすことも可能になるが、それができない場合、思わぬ意味が付加されるかもしれない。
二人のユーザ(@manと@friend)が会話している状況を想定してみる。
@man 夕飯を食べたから、僕はお腹がいっぱいだ。
@friend 今日は何を食べたの?
@man 天ぷらさ。天ぷらは、揚げたてを食べさせてくれるんだ。
@friend 良い身分だなあ。
@man だから、僕が食べ終わって、家内は食べ始めるんだ。次に、二人のユーザ(@manと@friend)の縮約された会話。
@man 夕飯を食べて満腹だ。
@friend 今日は何を食べたの?
@man 天ぷらさ。
@friend 良い身分だなあ。
@man 僕が食べ終わって、家内は食べ始めるんだ。前者の会話では、おいしい手料理を振る舞う妻の姿が思い浮ぶ一方で、それを自慢するうれしげな夫(@man)の姿が見えてくる。一方、後者の会話では、妻への配慮も無く、自己中心的な夫(@man)の姿が見えてくる。
更に、それぞれの会話をすべて引用(QT)してみると、最後の会話を終えた時点で呟きは、このようになる。
@man だから、僕が食べ終わって、家内は食べ始めるんだ。 QT @friend 良い身分だなあ。 QT @man 天ぷらさ。天ぷらは、揚げたてを食べさせてくれるんだ。 QT @friend 今日は何を食べたの? QT @man 夕飯を食べたから、僕はお腹がいっぱいだ。(135文字)
@man 僕が食べ終わって、家内は食べ始めるんだ。QT @friend 良い身分だなあ。QT @man 天ぷらさ。QT @friend 今日は何を食べたの?QT @man 夕飯を食べて満腹だ。(96文字)前者の呟きには、特段の違和感を感じない。一方、後者の呟きはどうだろう?
仮に、第三者が、後者の呟きを再度、情報発信した場合、それを見た人はどのように思うだろう?
@bigmouse 気づかね夫。QT@man 僕が食べ終わって、家内は食べ始めるんだ。QT @friend 良い身分だなあ。QT @man 天ぷらさ。QT @friend 今日は何を食べたの?QT @man 夕飯を食べて満腹だ。(96文字)冒頭に述べたように、多くの場合、TL上に並ぶ呟きはパラグラフだから、上記の点を留意されることをお薦めする。前後の文脈から切り離された呟きだけを見て、その途中過程での悪意のある改竄、改変の可能性を疑わないことは、危険だ。
僕は、前後の文脈から切り離した情報の読み取りは、日本語本来の特性にそぐわないと思う。できうる限り、情報だけでなく、その情報が発信された文脈について関心を払うことが望ましいと考える。仮に、情報を鵜呑みにした損失が出ても、その責任は情報受信者の側にある。
くれぐれもご留意頂きたい。
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