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2010年11月16日火曜日

地上波テレビが賢くなる日…

TechCrunchで、グーグル社のCEO、エリック・シュミットがグーグル・テレビ(Google TV)について語っていた。

Schmidt On Google TV Network Backlash: We’re Taking Dumb TV And Making It Smart

短い記事だったので、ポイントになるところを僕なりに翻訳してみる。

「ただ映像を流し続けるだけの地上波テレビ放送が、インターネットの双方向によって賢くしようとしていますよね?(“you’re taking a dumb television and making it smart”)」 
と質問されて、
「ええ。僕たちは確信犯です。(“Yes, we’re guilty of that,”)」
「大手の米国テレビネットワークは、自分たちのビジネスモデルを変えないと、膨大な広告収入が無くなるのではないか?と気になっています。("the networks seem to be concerned that the enormous revenue streams targeted at these dumb televisions will go away if they change the model.")」
「インターネットを使って議論されるようになると、視聴者は、もっとテレビを見るようになるでしょう("people will watch even more television if it’s augmented with the Internet.")」
「出版社(コンテンツ制作会社)は、時勢にあったドラマを付け加えるような良い仕事を行ってきています。そして、グーグルやテレビネットワークは、より短いつながりで全体をスムースに(繋げようと)しています。("the press has done a good job of adding drama to the situation, but he believes that Google and the networks will smooth all this over in relatively short order.")」
「(Google TVがもたらす)世界観は、僕たちが、地上波テレビが流す番組と出版社が作り出すドラマのようなデータの所在を明らかにしようとすることで確約されるのです。(“The ones that have reservations we’re trying to address that with data,”)」
といった感じですね。

日本の地上波テレビが、まだ面白いと感じている人がどれだけいるかはさておき、こうした技術革新の波が、遅かれ早かれ、日本の地上波テレビの世界にも影響を与えることと思う。もっとも、その際、そこに関わっている人たちが、これまでのように高収入でいられるか?は、別問題になる。

つまり、ここに情報がありますよ!と、宣言できることがマスメディアの特権だったことが失われる日は近づいている、ということ。

「尖閣諸島のビデオ流出事件」によって明らかになったことを考えてみるといい。

僕たちは、撮影された素材のすべてが国民に開示されないと大騒ぎしているマスメディアが正しいような議論につきあっている。でも、マスメディアは、実際に撮影した素材のすべてを開示したことはない。

ネットワーク上に全ての情報が開示されるようになる未来、膨大な情報の中の、この部分が問題の箇所ですと教えてくれるような情報の在処を明らかにすること。これが、Google社の考えているサービスの実体ではないだろうか?

2010年5月2日日曜日

クライメート事件 -フィンランド教育に学ぶ

その問題は、ジャーナリストの岩上安身氏の「呟き」から始まった。
先ほど、記者見習いの須藤君が、帰って来て今日の学術会議の報告。それが、実にショッキング。まず、クライメート事件について。ICPP(気候変動に関する政府間パネル)から、漏洩した情報が、事実である、ということ。

「呟き」を噛み砕く。
この「呟き」の主要なキーワードを抽出してみる。
  • 「記者見習いの須藤君」
  • 「今日の学術会議」
  • 「クライメート事件」
  • ICPPIPCC(気候変動に関する政府間パネル)から、漏洩した情報が、事実である」
その上で、ひとつひとつを噛み砕いてみる。


記者見習いの須藤君
岩上氏のお弟子さん?つまりは、ジャーナリスト?


今日の学術会議
「今日(2010年4月30日)」の「学術会議」と「検索」してみると、以下の「呟き」が近しいように思われる。
4月30日(金)午後に日本学術会議が公開シンポジウム「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の科学の課題」を開催。15時から「IPCC 問題が問いかけるもの:科学的作業、情報・倫理、科学者の行動規範」 http://bit.ly/daIWsW #f_o_s
この「呟き」に「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)」というキーワードが含まれることから、どうやら日本学術会議が主催した「IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の化学の課題」と題された公開シンポジウムのことらしいと推定。


クライメート事件
クライメート事件」については、いろいろな情報がインターネット上に存在するようだ。
Climatic Research Unitメールハッキング事件 - Wikipedia

このビデオは、2009年11月23日、米国Foxニュースが放送したものを、2009年11月26日に日本語字幕が添えられてアップされている。

是非、観て欲しい。


IPCC(気候変動に関する政府間パネル)から、漏洩した情報が、事実である
まず、このシンポジウムが、
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)問題の検証と今後の科学の課題
と題されていることから、日本の学術関係者たちがこの問題についてある認識する為に催されたと認識する。


僕は何から、それを学ぶのか?
僕自身は、岩上さんの呟きを見るまで、この問題について何も知らなかった。

僕の認識は、「地球温暖化」と言っても、科学的に評価できる統計値が限られていることから、どの時点、どの期間を基準として「温暖化」と呼ぶべきか、とても怪しいこと。それを踏まえて、「地球温暖化」という仮説がある、という認識だった。

また、温暖化の原因の全てがあたかも排出される二酸化炭素にある、とする議論そのものには興味がない。然し、副次的に、二酸化炭素削減の為に、緑化に努めようとする気運が高まることには好意的なので、「地球温暖化」の極論には反対でも、総論として得られる方向性に同意しているまでだ。

そこで、一般的な考えを探るのに、「気候変動」から連想して「地球温暖化」と「検索」し、次のページを読んでみる。
地球温暖化 -wikipedia
こちらは、環境省サイトの次のホームページ。
地球温暖化の科学的知見
IPCC第4次評価報告書について
なるほど。環境省は、今日(2010年5月2日)時点でさえ、「IPCC問題」を認めることをしていない。

然し、どうも解せない。

環境省としては、見識者たちの考え、つまりは、日本学術会議が主催したシンポジウムの内容を踏まえて発表するというつもりなのか?

そもそも、「IPCC問題」は無かったものとして放置するには、時間が経ちすぎてはしないか?

岩上さんは、後に続く「呟き」でこのように述べている。
続き。このクライメート事件とは、「地球が温暖化している証拠などないのに、政治的な思惑によって、温暖化が進んでいる、という宣伝が行われている」という内部情報が洩れた事件。これは、欧米では大変なスキャンダルとして扱われたが、日本ではメディアが積極的にとりあげようとはしなかった。
確かに、日本のメディアが取り上げなかった。


こうした状況を踏まえると、2009年12月09日 12時00分更新の池田信夫氏の投稿。
「クライメートゲート」事件が壊すマスメディアの情報独占
これは、いけてる。

図は、Wikimedia Commonsより

この他にも、データをグラフにするとき気温を高く見せるスクリプトが発見されている。またIPCCの結論と異なる論文を発表した学術誌“Climate Research”から査読委員を引き上げる話が出ている。IPCCの研究者はよく「懐疑派の研究は学術誌には出ていない」とその信用性を否定するが、このように組織的に懐疑派の論文を排除する工作が行なわれていたわけである。
見事に、「IPCC問題」を暴く証拠を挙げている。


フィンランド教育に学ぶメディア・リテラシー
フィンランド教育に学ぶメディア・リテラシー」のなかで紹介した2つの算数の
問題。
5+6=?
?+?=11
「IPCC問題」が起きた原因は、「地球温暖化」に関わる問題が、前者のような問題として扱われることを意図した為ではないだろうか?と思う。

だからこそ、僕は、岩上さんの「呟き」に始まる一連の問題を、後者のような問題として考えたい。

つまり、受け取った問題の答えとなるような要素の組み合わせについて、あれこれと考えを巡らせてみたいと思う。
  • なぜ、環境省は、「IPCC問題」を公式に認めないのか?
  • なぜ、マスメディアは、一連の問題を報道しないのか?
  • なぜ、これだけの時間が経過しているのか?
  • なぜ、国際的な日本企業は沈黙したままなのか?
  • なぜ、データのグラフ化に不正が行われる必要があったのか?
  • なぜ、こうした問題が、今頃になってシンポジウムが開かれたのか?
  • 等々
僕たちは、フィンランド教育に携わる先生の気持ちになって、生徒たちが出してくる答えや、周囲の人の「呟き」について考える必要がある。

ソーシャル・ジャーナリズムの世界では、情報を受け取って、それが自分にとって有益であるかどうかを判断するのは、自分自身だ。

その事を伝えたくて、敢えて、このようにまとめてみた。

2010年4月26日月曜日

フィンランド教育に学ぶメディア・リテラシー

日本とフィンランドの教育」では、簡単な算数の問題も、ちょっと違うようだ。
5+6=?
?+?=11
前者の答えは一つだけ。後者の答えには、多様な組み合わせが存在する。

このような教育方針の元では、学校の先生も、機械的に「答え合わせ」するのではなく、生徒の考え方のひとつひとつを汲み取るようにして採点しないといけない。その結果、生徒は自由な発想から選択し、行動することの楽しさを学ぶのだろう。察するに、フィンランドの教育では、生徒ひとりひとりのリテラシーの向上を目的として、こういった教育に取り組んでいる、と思う。


既に知っている情報
僕たちは、目の前にある情報を「知っている情報」と鵜呑みにしていないだろうか?
5+6=11
と何度も繰り返して教えられてきた人は、
「11」になる答えは?
と聞かれて、
「5」と「6」を足したもの。
と答えたりはしないだろうか?
勿論、
それは間違ってはいない。
然し、「11」という答えになる組み合わせは、無限にある。
1+1+1+1+1+1+1+1+1+1+1=11
1÷1+10=11
111−100=11
1×1+10=11
   :
   :
単純な四則演算の範囲でも、無限に組み合わせが考えられる。

そして、これらの答えは、
どれも正しい。
もし、これらの答えも、場合によっては認めることができなければ、
フィンランドの先生は失格なんだろう。


多様な価値観
現実世界で、ネット空間で、僕たちは、さまざまな情報に接している。

僕たちは、辞書には、多くの言葉に複数の解釈があるのを知っている。また、誰かと話をする時、本や資料を読む時、立場や文脈に応じて複雑な意味があるのも知っている。

普段の生活の中で、ひとつひとつの言葉の微妙な意味を使い分けている。

ところが最近、僕は、自分が捉えていた言葉の意味がどこかズレてしまっているような感覚に陥る時がある。それも、ずっとズレていてくれるのであれば修正もできるのだが、それが違う。

もっともズレて感じるのが、テレビだ。

ずっと気になっていたのだが、テレビから送られてくる情報に対する僕の反応が、どこかぎこちない。それが、年末ぐらいから随分とヒドい。

随分と以前だったら、テレビから送られてくる情報が、
「11」
だったら、
「5」と「6」を足したもの。
と、クイズ番組に答えるように反射的に答えていたものが、
あれ、今日は、「4」と「7」を足したものだったのか…。ふーん。
あれ。今日は、「2」と「9」を足したもの?
あれれ。今日は、「3」と「2」と「6」なの?
近頃では、
「???」
となるような日まである。丸覚えでは通用しなくなってきている。

テレビの中にも、多様な価値観が反映されてきているのだろうか?


メディアの立ち位置(テレビ局としての考え方)
普段の生活で、馴染みの人と話すとき、
あの人は、必ずふざけて間違えて答えるさ。
あの人が、間違うはずが無い。
あの人は、たまに早合点する。
といった具合に話し手の人柄を踏まえて判断することがある。

テレビから送られてくる情報に対して、そんな人柄のようなものを踏まえて判断するようなことはなかっただろうか?
ああ、あった。あった。
アンチ巨人になった人の中には、
「野球の実況中継が余りにも巨人贔屓だから…」
という理由の人は意外と多い。そういう人は、「あのテレビ局では野球中継を観たくない」と言って、テレビを遠ざけはしたが、他の番組ではテレビの前に戻ってきた。

僕自身、ニュースだけは、それなりに信じて観ていた。テレビ局毎に「贔屓」のようなものをそれなりに感じてはいたが、その分を適当に差し引いて観ていれば、それはそれでコトが足りていたからだ。

最近、痛感するのは、
「なんだ。そこを贔屓していたのか?」
と思うようなことが増えた。

それでも、好きずきだからと放っておいたら、どういうことだろう。
「あれ?そっちは、反対していた意見じゃなかったのか?」
という具合になってきた。


自分なりの考え方
算数の問題を解くのではなくて、大人の問題を解くのに、フィンランドの教育から学ぶとすれば、
「それはどういうことなんだ?」
「面白い答えは、なんだ?」
という自分なりの考え方を養うってことではないだろうか?

こういった考え方をテレビに頼ると、
また、丸暗記になってしまう。