川崎さんは、15年間のフィンランドに居住されており、フィンランドと日本の教育市場との比較を交えながら、実に興味深い指摘をされている。
フィンランドの教育は、「教える教育」から「学ぶ教育」への意識改革をすることで、PISA(国際学習到達度調査。Programme for International Student Assessment)で高い実績を残すようになった。
「教える教育」から「学ぶ教育」への意識改革とは、どういうことだろうか?
プレゼンテーションの冒頭には、以下のような言葉が並ぶ。
- 「内容」から「方法」へ
- 「覚える」から「考える」へ
- 「画一」から「多様」へ
- 「KY(空気が読めない)」から「自分の意見」へ
- 「ダメ人間」から「夢と希望」へ
- 「想い」から「ことば」へ
- 「ことば」から「行動」へ
ボコッと、沸き上がるものを感じた。
「教える教育」は、先生が一方的に話を続ける退屈な授業のようにも思えるが、「学ぶ教育」は、絵を描いたり、楽器を演奏するように、生徒自身が行動することを通じて周囲の人と対話的することなしには成り立たない。
また、以下のような言い方もできる。
「教える教育」は、画一的な価値観を伝播するマス・メディアに近い。一方、「学ぶ教育」は、好奇心を持って、自ら情報に接しようとするソーシャル・メディアに近いように思う。
「教える教育」から「学ぶ教育」への意識改革とは、「好奇心を育てる教育」を目指していると言えないだろうか?
僕は、情報に価値があるかないかを決める主体は、情報の発信者ではなく、情報の受信者が決めるものだと思っている。
そのことを前提にすれば、より多くの情報に興味が持てるような人財を作ることが、「教育」に求められている。そして、よりたくさんの好奇心を持った人が、より多くの情報に価値を見いだすことができ、新しい社会を築くうえでの礎になれる、と思う。
「教える教育」から「学ぶ教育」への意識改革が進んでいくことを、この日本社会の中でも、是非成功させて欲しいと思う。
続く。
3 件のコメント:
良いテーマだと思う。教育には、3つの段階で考えると解り易い。すなわち学校教育、家庭教育、社会教育です。特に、家庭での教育は全ての基本です。教わる、学ぶはこの段階で決まるといわれています。学校での教育は社会への繋ぎと考えるのが妥当、と思っています。教わる、学ぶという形をいかに作るかが大切ですね。これは大人サイドの課題です。フィンランドの例はその辺りをうまくコントロール出来た!という事のようです。的外れだったかもしれませんね。ご容赦を!
コメントエントリを書きました。どうぞ。
泰三さん、Internalistさん、コメントありがとうございます。川崎一彦です。
泰三さんの3つの段階も大切ですね。
家庭教育=フィンランドでは、家庭、保護者との連携はとくに重視されています。新学習要領では、「子どもを育てる責任はまず保護者にある」と明言している。日本のモンスターペアレントに聞かせたいですね。
このあたりの詳細は『フィンランドに学ぶ教育と学力』(明石書店)に書いてあります。
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