2010年4月2日金曜日

弾丸犬の心得

弾丸犬
って、Twitterで知り合った方から命名されました。

意味は?って、訊ねてみたら、
その通りでしょ
というお答えでした(笑)。

最初は、「弾丸犬って何だよ?」って、意味を探そうとしてみました。

でも、弾丸のように、まっすぐに飛んでいく犬の姿を思い描いて、あんな風に走り出せる犬は楽しいだろうなあと感じた次の瞬間、言葉に置き換えるのは野暮なので、自分が想像できるイメージの全部、頂いたものにしました。

アイコンに使っている犬にも、そういった心を宿すことができたらなあと思っていましたからね。

だから、個人的に、とても気に入っているんです。

たしかに、いつも、なにか疑問を持ち始めると、弾丸犬的素養が開花します。

年齢を重ねて、すこし自分を冷静にみようとしてきているのか、最近、Twitterを通じて知り合った方と呟きながら、互いの考えを探りあっているとき、この真っ直ぐな好奇心が、不思議な能力で活性化されていくように感じます。

自分なりに整理してみると、ひとつは、正直に接することで、偽らない自分を知って欲しいと念じる能力。もうひとつは、自分の能力を出し切ってでも、自分の考えを認めさせようとする能力。相反するように思える能力ですが、同じ根っこから生えた能力のように思えなくも無い。そんな能力がムクムクと疼き始める。

僕にとって(あるいは、誰にでも)、逃げずに、説明せずにはいられなくなる、そういう状況では、この二つの能力が、良い面、悪い面となって出てくるように感じます。

実は、これが、「生きる」ことを実感するやり方なのかなあと感じます。

姿が見えないまま人と出会い、真っ直ぐにお互いの考えをぶつけ合おうとして、いろいろなやりとりが起きている空間が、Twitterにはあります。あたかもリアルタイムで話し合っているかのように感じることができるネット上のサービス、チャットや掲示板のような空間でも感じていたものに通じる感覚です。

こうした空間をよく理解されていない方は、現実世界からの逃げ込むところとしてネット空間を評されることもあるようです。確かに、現実の世界には、本当の意味で逃げ込めるところは無い。恋人も、家族も、友人も、街ですれ違う人も、一生のうち一度もすれ違わない人も、全ての人にとって逃げ込むところは無い。

そして、Twitterのような空間でも、人と向き合わずに逃げ込むところなんて無い。

自分が感じ、考え、なにかを発することなしには、自分が虚しくなる。何も発しない状態、NO SIGNALは存在しないこと。これは、現実世界であれ、ネット上に作られた仮想的な空間であれ、何も変わらない。

美辞麗句を並べ立てて取り繕う方も、いきなり罵声を浴びせてくる方も、ずっと息を潜めて時たま呟く方も、ムクムクして沸き上がって来た能力を発揮しながら、「生きる」ことを実感しようとしているんだろう、と思います。

「生きる」ことに旺盛な方のなかには、それが過ぎてしまって、元々、逃げ場なんて無い世界なのに、人をどこかに「追いやる」ことに形相を変えてしまっておられる方もいる。

それは、駄目。

弾丸犬としての心得を留め置きたいと思います。

2 件のコメント:

ヨウ さんのコメント...

弾丸犬さん。強制的^^;命名者としては、
気に入って頂いて良かったです。ひと安心。^^

>Twitterのような空間でも、人と向き合わずに逃げ込むところなんて無い。

これは実感してます。
その上、140字の中にただ呟くのではなく、相手にどう分かって貰えるか・・を日々悩みつつ・・・

弾丸犬さんと同じなのかも知れません。どの言語を用いるか、なにを中心に返すか、を一瞬躊躇います。
その為に簡単にはコメを返せない自分がいます。
それでも自分の決断しかない訳で ^^;
覚悟して一瞬一瞬を味わなければと思います。

すがき さんのコメント...

>僕にとって(あるいは、誰にでも)、逃げずに、
>説明せずにはいられなくなる、そういう状況では、
>この二つの能力が、良い面、悪い面となって出て
>くるように感じます。

>実は、これが、「生きる」ことを実感
>するやり方なのかなあと感じます。

私も常に思っている事だったりします。
仲間内で語り合うことも、ツイッタで語ることも同じ、とにかくアウトプットを提供して判断してもらう(影響を与えられれば嬉しい)。それが「生きる」ことだなぁと。