2010年4月3日土曜日

人間関係があってこその存在証明

FacebookLinkedInのようなソーシャル・ネットワーク・サービスは、デジタル認証技術などを用いずに、文字通り、人間関係があってこその「存在証明」を行っている。

これらのサービスでは、既にサービス利用を行ってる先行ユーザの果たす役割が大きい。これらのサービスを利用すると、サービスの中で、自らの名前や連絡先はもとより、社会的地位を表明する必要がある。例えば、僕が、新規にユーザになろうとすれば、僕が僕であることを、複数のユーザとの繋がりで承認してもらう。
理屈は至って、シンプル。
彼の友達だから、信頼する。
実際、僕の友人がユーザになろうとして、既存ユーザの中には適当な人物が見つからなかったので、僕に、その友人が本当にその人物であることを証明して欲しいと依頼されたことがある。もっとも、厄介なのは、僕もユーザになる必要があること。然し、欧米のように、進学するにしても、就職するにしても、紹介状を必要とする社会では、こうした人と人の関わりの中で、「存在証明」することは、むしろ自然に受け入れられるのかもしれない。かくして、ソーシャル・ネットワークの最も原始的な姿、「友達関係」というコミュニティーがネットワーク上にできる。

なによりも、実際に使用してみれば良いのだが、日本では、まだブレイクしていると言える状態なので、サービスを利用し始める場合、あなたをあなたと認めてくれる人がいない状況では、そのメリットが得にくいし、なによりも大切なこととして、何のために、コミュニティーに参加するのかその目的に困るような方は、参加すべきではないだろう。

そうしたコミュニティーで出会うユーザは、適当な受け答えに対しては、とても素っ気ない。コミュニティーの参加者は、自分たちの所属する組織やサービスの価値を自分たちで高めようとする。

歴史的に見れば、日本人は、こういう人間関係を大切にする文化があったと思うのだが、どうしたものだろう。利益や効率ばかりを追いかけて、日本人が大切にしてきたものが何処かに追いやられているのではないだろうか?

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