人が何かを呟くには、それ相応のエネルギー消費が必要になる。同様に、情報を理解するにも相応のエネルギー消費が必要になる。つまり、受け取った情報の価値があるか、ないかを判定するソーシャル・サブスクライバーは、この2つのエネルギー消費量を足し合わせたエネルギー消費に見合う情報が目の前に提示されることを心待ちにしている。
次のやりとりは、ある意味で、ここに書き留めたい活性化の秘訣のすべてがある。
あるダイエット希望のおばさまのインストラクターへの言葉。「あ、キツいのは駄目。楽しく身体を動かしたいのよ。」おばさまがダイエットしたいのは、自他ともに認めるところだが、おばさまにも分かっていることがある。運動はするべきだと理解していても、ツライと感じてしまうと止めてしまう事。このおばさまの心の動きは、多くの人の心の動きに通じている。
ソーシャル・ジャーナリストの発信する情報は、ソーシャル・サブスクライバーの潜在的なニーズに近いはずだ。少なくとも、優れたソーシャル・ジャーナリストは、ソーシャル・サブスクライバーの興味ベクトルに細心の注意を払っている。つまり、政治分野の情報を欲している人には政治分野の情報を提供しようとするし、スポーツ分野の情報を欲している人にはスポーツ分野の情報を提供しようとするだろう。
もっとも、ソーシャル・ジャーナリスト自身が、そうしたソーシャル・サブスクライバーの欲する領域に精通する知識や経験を持っていなければ、この一連の試みは簡単に頓挫してしまう。だから、「ソーシャル・ジャーナリズムの空間」では、「メッセージのベクトルと持続性」が何処に向かっているのか、をよく知っていることが最重要課題であることは、もはや疑いようも無い。
欲するものを与えよ。ローマ帝国支配をしていた方々の言葉にも通じるような答えだが、こんなに分かりやすい活性化の条件は無いだろう。
ソーシャル・サブスクライバーにとって、興味のベクトルが同じでも、ベクトルの長さには注意が必要だろう。誰もが、既に知っている情報には、興味は示さない。むしろ、何度も同じ情報を見せられると嫌気がさしてしまい、逆効果になる。
「ソーシャル・キャリアーの活物質的な役割」のなかで、電池に喩えて説明したが、ここでも電池に喩えて考えてみよう。
電池は、「電子」の池。電池の基本的な仕組みは、「特殊な溶液」に2本の電極を差し込むことで、電流は流れる。つまり、電子が、「正極(一本目の電極)」から「負極(二本目の電極)」に向かって移動することで「電流」が得られる。但し、この「正極」と「負極」の間に「適切な電位差」がないと「電流」を得ることできない。
電池に使われる特殊な溶液とは、前述の「欲するもの」になる。ソーシャル・ジャーナリストは「正極」であり、ソーシャル・サブスクライバーは「負極」にあたり、両者の間を移動する情報に「適切な電位差」がなければ、化学反応は起きない。つまり、ソーシャル・キャリアーという新たな物質を得ることはできない。
では、ここでいう「適切な電位差」とは何だろう?
冒頭の心得に従って、まず吐き出してみる。
知っていることから始めよこれを僕の言い方で表現すると、「知の好適距離(間合い)」を取るということになる。いずれにせよ、ソーシャル・キャリアーの活性化の条件には、
- 欲するものを与えよ。
- 知っていることから始めよ
冒頭のおばさまの欲求は、正に、この2つに言及している。そして、おばさまが活性化するには、この条件を満たしていなくてはならない。
そして、「知の好適距離(間合い)」については、後ほど、もう少し噛み砕いていこう。
1 件のコメント:
楽しく拝見しました。ソーシャル・サブスクライバー、ソーシャル・キャリアーなどの概念、とらえ方が非常にユニークですね。情報発信者と流通経路、摂取者の流れはこういういくつかのポイントで語れるのかもしれません。
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