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2010年4月23日金曜日

対等のネットワーク(peer networks)- FaceBookとTwitter

FaceBookは、Twitterと同じように、ソーシャル・ネットワーク・サービスであり、米国を中心として海外では、とても高い人気を博しているサイトだ。

complete社が提供している2010年3月現在のサイトアクセス解析では、FaceBook社とTwitter社の公式サイトへのユニークビジター数を比較からは、
  • FaceBook 132,040,907
  • Twitter 21,287,217
となっており、圧倒的にFacebook社が優位に見える。

もっとも、Twitter社は、Twitter APIを公開している。その結果、サードパーティーによるさまざまなブラウザが開発されており、ヘビーユーザになればなるほど、さまざまな機能を持ったサードパーティー製ブラウザを使う傾向が高い。実際、Twitter社の発表では、ユーザのトラフィック全体の75%がサードパーティー製ブラウザから行われているそうだ。その為、公式サイトへのユニークビジター数の比較は、余り当てにならない。(それでも、2100万人だけど)

もっとも、FaceBook社の公式サイトへ1億3000万を超えるユニークビジター数があるという事実は、2008年の日本の人口1億2700万人世界10位)であることを念頭に置けば、極めて大きなネットワークが存在していると認識すべきだろう。


FaceBook 社のサービス

FaceBook 社のサービスは、元々、大学内に居住する寮生たちの名簿のようなコンテンツがベースになっている。つまり、現実世界での学生同士の繋がりが、ネット空間に直接持ち込まれた結果、「顔見知り同士のネットワーク」が出来上がった。

FaceBook ユーザは現実世界に存在する人物その人なので、興味本位のなりすましや真偽の不確かな情報の流布を行えば、直接、そのユーザの「信頼や評判」が崩れることになる。その為、そこでやり取りされる情報は、仮に思い込みのようなものであっても、実在する人物から発信された「(信じてみるだけの価値がある)質の高いコンテンツ」になった。また、そのような「(現実世界に存在する人物その人であるという)存在証明」が行われた学生同士の繋がりは、「(ある程度の)信頼に値するコミュニティー」、つまり、ソーシャル・ネットワークになっていった。

FaceBook 社は、2006年9月の一般公開後も、
  • 「質の高いコンテンツ」
  • 「信頼に値するコミュニティー」
の維持に努めて来ている。

FaceBook サービスを利用するには、以下のようにする。

まず、新規登録を行う。新規ユーザは、既存ユーザに知り合いがいるかどうかを確認される。既存ユーザが見つかった場合は、既存ユーザは、新規ユーザに対する「認証」を求められる。この「認証」を行った人間関係は、それぞれのユーザを紹介するページで明示的に表示される。

実は、この「認証」こそ、「信頼に値するコミュニティー」の維持を目的とした重要なプロセスになっている。つまり、既存ユーザは、自らの「信頼や評判」を損なわないように、新規ユーザを確認し、新規ユーザの「存在証明」の役割を担うことを、意識的に、無意識的に求められるからだ。もし、あるユーザが不正な行為をしたとするとどうなるだろう。そのユーザが、あなたを紹介するページで明示的に示されることを想像してみて欲しい。

一方、サービス利用者は、あるユーザと別のユーザとの明示的な関係をみることで、ソーシャル・ネットワークを広げることができる。

携帯電話による存在証明」の中で紹介した「ソーシャル・メディアと携帯電話の関係」のグラフは、FaceBook世代the FaceBook Generation)のような言葉の意味を正に裏付けている。
FaceBook世代 授業中にも携帯電話でのメールを欠かせない世代を指す。
FaceBook社のサービスは、携帯電話を使うことで活発化している。このことは、間違いないだろう。つまり、携帯電話は、FaceBook ユーザたちの繋がる機会創出を行い、より多くの情報とその情報の広がる範囲を拡大させているようだ。

「携帯電話を使ったメール交換が社会問題化した日本」

「携帯電話を使ったメール交換が社会問題化した日本」では、FaceBook ユーザたちの特性を想起しやすいのではないだだろうか?

そこで、FaceBook ユーザの繋がりを乱暴に仮説してみる。

まず、「同じ価値観、あるいは、同じ文脈」を共有する人たちが作る人間関係がある。その人間関係を集団として捉えると、それぞれの集団は、ある価値観を共有しているだろう。例えば、同じ地域の出身であるとか、同じ学問を学んだとか、同じ倶楽部をやっているとか。ただし、この価値観だけでは、ひとつひとつの集団は大きすぎることは間違いない。そこで、価値観、好み、相性のような人間性が大きく関わってくる。そうすると、途端に小さな集団になるはずだ。

ひとつひとつの集団の繋がりは、本来、比較的、安定しているはずだ。集団に関わる人たちが、現実世界からネット世界に移動してくる時期を過ぎると、新規の人間関係が追加される可能性はさほど多くないだろう。しかし、ある集団と別の集団を繋ぐ関係が一つ増えるだけで、人間関係の繋がりは大きく広がることになる。

一方、FaceBookサービスは、ある集団と対立するような別の集団が使うこともあるだろう。
しかし、見方を変えれば、対立軸にある集団は、その対立関係を含めたより大きな集団として捉えることができる。その結果、情報交換をどれだけ頻繁に行うかを別にすれば、FaceBook ユーザの繋がりに、一定の価値観による分類が可能なように思われる。

FaceBook社のGraph APIは、こうしたユーザの繋がりを裏付ける解析に役立つだろう、と思う。


対等のネットワーク

では、ソーシャル・ネットワーク・サービスとして見たとき、
FaceBookは、Twitterよりも優れているのだろうか?
斉藤透さんのブログ「TwitterとFacebook,どちらが世界最大のソーシャル・ネットワークになるのか?」では、後発のTwitter 社の成長が大きく、現在の成長率が半年続くと、月間訪問者数で、Twitter 社が、FaceBook社を追い抜くそうである。

斉藤透さんは、世界最大のソーシャル・ネットワークになる上で、世界中のインターネット利用者(中国を除く)のうち、15億人の上限を前提に話をされている。

勿論、利用者数が多い方が勝ちという判断が、「優れている」を決めることにはならないと思う。

僕は、Craig Newmarkさんの「信頼と評判」の中に出てくる「対等のネットワークpeer networks)」を実現するソーシャル・ネットワーク・サービスにどちらが近いか、という点で、この優劣を判断したいと思っている。
…この時代の終わりまでに、力と影響は、資本とわずかな力を持つ人々から、最も高い評判と信頼のネットワークを持つ人々に大きく変化するでしょう。つまり、対等のネットワーク(peer networks)では、草の根から現れる人々に当たり前のように相談するようになります。
この切り口から両者のサービスを比較してみる。

まず、FaceBookのサービスの本質は、
同じ価値観、あるいは、同じ文脈」に「依存」の人間関係
にある、と思う。

その為、これまでの価値観や文脈を違えることになると、煩わしい人間関係が邪魔になってくる。勿論、そうした対立する価値観を背負って発言することを非難するつもりではない。然し、社会には、さまざまな力関係があり、その力関係の中で、同じ言葉であっても、同じように人の心に届かないことがあるのではないか、と思う。

一方、Twitterのサービスの本質は、
同じ価値観、あるいは、同じ文脈」に「非依存」の人間関係
にある、と思う。

その為、様々な価値観の言葉が飛び交い、同じ言葉でも、意味や解し方を巡って議論が絶えない。勿論、Twitterがそもそも議論をするのに適したツールであるかどうか、は怪しい。然し、Twitterの口コミ的な広がりだけに着目することには、否定的にならざるを得ない。Twitterは、「さまざまな価値観、あるいは、さまざまな文脈」に置かれた人の考え方を教えてくれる。

現在、Twitter 社のサービスには、とても大きな課題がある。

それは、
存在証明」と「匿名
だ。

存在証明」=「実名」と言うつもりは、さらさら無い。

実名」は、「対等なネットワーク」での「対等な会話」を阻害することがある。「実名」であることは、どのような立場からの発言に対しても威圧的な要因になりうる。むしろ、「匿名」のまま発言できる仕組みが残されるべきだ。

総務省が、国民IDの議論に本格的に取り組み始めていることから、「存在証明」を行うことは、比較的近い将来に、実現するかもしれない。

FaceBook社は、ユーザの「存在証明」によって、
  • 質の高いコンテンツ
  • 信頼に値するコミュニティー
を担保してきている。だから、「存在証明」が可能になる時には、必要に応じて、「実名」と「匿名」を選択できるようになるべきだ、と思う。

そうした条件が満たされた場合、ソーシャル・ネットワーク・サービスとして、どちらが優れているか、歴然とした答えが出るだろう、と思う。
見知らぬ人の言葉が、よく知る人の言葉より、必ず優れている保証など無い。
むしろ、問題に対して同じ距離で向き合えることで、得られた情報の価値を冷静に評価できるようになるはずだ。


米国の国会図書館では、「Twitter上で発信されたすべての呟き(Twitter社の創業時に遡ってから現在に至るまでのすべて)を保存すること」を決めたそうだ。

僕は、ソーシャル・ネットワークは、「対等のネットワーク」の中に作られていく、と思う。

2010年4月16日金曜日

「素直になれなくて」- 反セルフ・ブランディング

フジテレビ系のドラマ「素直になれなくて」がスタートした。

上野樹里さんが演じる女の子の役柄。そこには、彼女ならではの、まっすぐな性格があるように思える。個人的には、そのまっすぐな感じにとても好感を持っているので、久しぶりにテレビに飛びついた。

ドラマでは、5人の登場人物が、Twitter上で呟いた自分を現実世界に持ち込もうとすることからストーリーが始まる。上野さんは、ハルというハンドルネームを持つ私立高校の非常勤講師、水野月子役として出演。瑛太さんは、ナカジというハンドルネームを持つカメラマン、中島圭介役として出演している。

ある日、Twitter 上のユーザたちが、実際に会う(オフ会)約束を交わす。ハルは、友人、西村光を誘ってオフ会に参加する。このオフ会の席上で、ほとんどの参加者が、現実の世界の自分を偽って自己紹介をする中、唯一、ハルだけが、本当のことを話す。つまり、ハルを除く、参加者のすべてが、大なり、小なり、嘘をついていることになる。もっとも、ナカジの自己紹介は、それが嘘であったか、虚飾であったか微妙なところ。かくして、ハル、ナカジを除く参加者が、いかに述べるような、「なりすまし?」を行っている点が、ドラマの展開を左右することになる。
たぶん、Twitterを知らない人が抱くネット社会を分かり易く象徴すると、こういう演出なんだろうなあ。でも、この演出が、ドラマそのものの重要な伏線になっているようなので、ここは、我慢のしどころでもあるのだけど。うーん。


なりすまし
「なりすまし」とは、あたかも現実世界に存在する人物のように振る舞うこと。この言葉は、ネット社会が生まれてからできた言葉ではないのだが、最近の話題では、「なりすまし」と聞くと、ネット上での問題のように響くものがある。

もっとも、ドラマの登場人物たちの出会いは、現実世界ではなくネット上の空間から始まっているので、それぞれのユーザが、ネット上に作った仮想的人格(ドラマの中では、職業とそれにまつわる生活のこまごまとしたもの)を現実世界に持ち込むことになる。この場合、これは、「なりすまし」ではなく、厳密には、「なりきり」と言うべきだろうか?

いずれにしても、本当の自分と異なる自分が現実世界に生き続けることなど、到底、あり得ない。だからこそ、何気ない嘘、その歪みの中で、このドラマの登場人物たちは苦しむことになる。そして、そうした嘘がネット上だけでなく、現実世界の中でも起きているシーンが続く。
リンダというハンドルネームを持つ市原薫は、中堅出版社の雑誌編集者だが、上司の奥田真理子の要望の餌食にされる。ここにも、嘘。目的を満たす為に、多くの登場人物がいくつもの嘘を重ねていることにも、今後のドラマの展開の伏線があるように思う。


存在証明
現実世界でも、ネット世界でも、どうやって自分の存在を証明するのだろう?制度やシステムの中での存在証明と考えても良いが、ドラマのテーマは、更に深く突っ込んでくるようにも思う。
自分らしい自分を誰が気づいてくれるのだろう?
それが、本当の意味で、つまり、自分にとっての「存在証明」ではないだろうか?ハルやナカジだけじゃない、ドラマの中の人物のすべて、あるいは、僕自身を含めて、この世界に存在するすべての人にとって、「自分らしい自分であることの存在証明」は、とっても深いテーマだと思う。


反セルフブランディング
頭の中で少し倒錯するのを覚えながら、Twitter 上のタイムラインを眺めていると、@yukari77 さんの呟きから、「反セルフブランディング」という単語が、僕の目に飛び込んで来た。

何気なく、リンクボタンをクリック。

「ツイッターノミクス」著者、タラ・ハントさんへのインタビュー記事の中で、セルフ・ブランディングの質問が目を引く。
Q. ソーシャルネットワークでセルフブランディングをする人へのメッセージは?
A. 私はセルフブランディングやパーソナルブランディングという考え方には反対。生身の人間らしく、正直でいた方がもっと個人レベルでつながることができる。
ブランディングとは、そもそも、他者との差別化と考えてみると分かりやすい。さまざまなメディアを通じて情報が伝わるので、それをコントロールして、あらかじめ設定したイメージに近づける為の手法として捉えてみる。

ハントさんは、「反セルフ・ブランディング」とは、自分が理想的に思い描いている自分のイメージに近づけるような言動をしても見抜かれちゃうぞ、と言っているのではないだろうか?

僕は、自分自身を見失うようになる虚言を重ねるくらいなら、自分が信じる正論を吐くことがとても大切に思っている。なので、「反セルフ・ブランディング」の考え方は、とても気に入った。ぜひ、ハントさんの本、「ツイッターノミクス」を読んでみたいと思う。


なるほど。

この「反セルフ・ブランディング」は、このドラマのテーマにはピッタリ来るかもしれない。そう考えてみると、「素直になれなくて」という番組タイトルは、まさに、このドラマに相応しいタイトルだと思う。

うーむ。上野樹里さんにとっても、大変な役であることは間違いないようだ。

でも、このドラマのテーマが、「反セルフ・ブランディング」にあるならば、彼女の本質、彼女らしさが醸し出す存在感は、とても重要だと思う。

僕なりに素直になって、言ってみる。

2010年4月4日日曜日

携帯電話による存在証明

ソーシャル・メディアと携帯電話の関係」のグラフでは、ソーシャル・ネットワーク・サービス(以下、SNS)のひとつ、Facebookの利用者とスマート・フォン(アプリケーション動作が可能な携帯電話)の利用者の関係における興味深い傾向を見ることができる。

2009年から2010年にかけて、
  • Facebookユーザは、1187万人から2513万人に増えた。
  • 携帯電話利用者全体の22.5%から30.8%にスマート・フォン利用者が増えた。
  • パソコン利用者より、スマート・フォン利用者の方が、SNSを利用している。
    (パソコン利用者79%が、SNS利用者である。スマート・フォン利用者の91%が、SNS利用者である。)
と読み取れる。

ほとんどの携帯電話(プリペイド・カード方式による携帯電話を除く)の利用者は、電話会社との契約を行っている。その際、身分証明などの提示を求められるので、将来的に、ユーザの「存在証明」に携帯電話を利用できる可能性を指摘しておきたい。

アップル社は、既に、そうした可能性に着目していると思われる動き(「iPhone/MacBook向け生体認証システムに関する特許の出願」)を見せている。

また、アップル社が提供するホスティング・サービス(MobileMe)では、iChatAVと呼ばれるアプリケーションがある。このアプリケーションを使えば、同じアプリケーションが動作する環境を共有することで、チャットやビデオ・カンファレンスが行える。この時、このサービスでは、暗号化された通信状態を作ることができる。また、MobileMeのサービス自体が、存在証明と同様の役割を果たすことから、ユーザ同士のチャットやビデオ・カンファレンスへの不正アクセスを阻止できる効果がある。

間もなく日本で発売される次世代iPhoneには、こうしたチャットやビデオ・カンファレンスの機能が搭載される予定だと噂が流れている。

僕は、アップル社の設計思想を高く評価しているので、いつか、このようなサービスが、「OpenID」のような、より開かれた「存在証明」と融合する日が来ることを心待ちにしている。

米国OpenID Foundation副理事長の崎村夏彦氏は、自らのブログ「原口5原則とOpenID」の中で、「原則4 費用が最小で、確実かつ効率的な仕組みであること」にコメントしている。

一部を抜粋する。
こうしたAPIサービスにはいろいろなものがあるが、そのうちの一つとして特筆したいものに、「身元確認API」がある。これは、民間のIDプロバイダーが、身元確認に利用できる、第三者による「レジストリ」として機能する。同様のものは、デンマークやニュージーランドでも提供されている。これは民間で提供するのがかなり困難なものなので、ぜひとも提供していただきたいと思う。住基ネットをうまく使う形になるのかなと思っている。
まず、日本政府が「身元確認API」のような利用を視野に入れて、その具体案を提示することがとても重要だと思う。その上で、アップル社をはじめ、より多くの企業が、そうした動きに準じるようになれば、ここで指摘していることの実現性はとても高くなる。

2010年4月3日土曜日

人間関係があってこその存在証明

FacebookLinkedInのようなソーシャル・ネットワーク・サービスは、デジタル認証技術などを用いずに、文字通り、人間関係があってこその「存在証明」を行っている。

これらのサービスでは、既にサービス利用を行ってる先行ユーザの果たす役割が大きい。これらのサービスを利用すると、サービスの中で、自らの名前や連絡先はもとより、社会的地位を表明する必要がある。例えば、僕が、新規にユーザになろうとすれば、僕が僕であることを、複数のユーザとの繋がりで承認してもらう。
理屈は至って、シンプル。
彼の友達だから、信頼する。
実際、僕の友人がユーザになろうとして、既存ユーザの中には適当な人物が見つからなかったので、僕に、その友人が本当にその人物であることを証明して欲しいと依頼されたことがある。もっとも、厄介なのは、僕もユーザになる必要があること。然し、欧米のように、進学するにしても、就職するにしても、紹介状を必要とする社会では、こうした人と人の関わりの中で、「存在証明」することは、むしろ自然に受け入れられるのかもしれない。かくして、ソーシャル・ネットワークの最も原始的な姿、「友達関係」というコミュニティーがネットワーク上にできる。

なによりも、実際に使用してみれば良いのだが、日本では、まだブレイクしていると言える状態なので、サービスを利用し始める場合、あなたをあなたと認めてくれる人がいない状況では、そのメリットが得にくいし、なによりも大切なこととして、何のために、コミュニティーに参加するのかその目的に困るような方は、参加すべきではないだろう。

そうしたコミュニティーで出会うユーザは、適当な受け答えに対しては、とても素っ気ない。コミュニティーの参加者は、自分たちの所属する組織やサービスの価値を自分たちで高めようとする。

歴史的に見れば、日本人は、こういう人間関係を大切にする文化があったと思うのだが、どうしたものだろう。利益や効率ばかりを追いかけて、日本人が大切にしてきたものが何処かに追いやられているのではないだろうか?

2010年4月1日木曜日

存在証明

ネット社会の将来を考える場合、とても大切なことがある。
それは、ネット上の相手が本物かどうかということ。
Twitter上には、BOT(ボット)と呼ばれる特殊なプログラムが、僕たちが呟くのを常時監視している。こうしたBOTの多くは、事前に登録されたユーザの呟きをひとつひとつチェックして、設定されたキーワードに合致したり、設定された時間になったりすると、たわいのないメッセージを返したり、新しい商品やサービスの情報を送ってくる。

BOTから送られてくる情報は、他のユーザが発信した情報(呟き)文脈からずれた内容だったりするので、誤って、BOTからの情報に返事するようなことはまずない。仮に、間違って返事を返しても、BOTとのやり取りは、テレビ番組を見ていて、テレビに向かって話してしまうことに似ている。自己収束してしまう。

では、このようなBOTが、人間の言葉があたかも判っているかのように進化したり、BOTでは、悪意のあるユーザによって行われている場合、どういうことが起きるだろうか?

対応方法は、意外なほどあっさりしている。BOTであろうが、別のユーザであろうが、それが、信頼できる存在、つまり、本物であるかどうかが証明(存在証明)されれば良い。逆に、存在証明できない場合には、「なりすまし」が起きているかどうかを注意深く観察しながら判断するしかない。

この、「なりすまし」問題について考えてみる。

過日、日本から見てちょうど真裏のペルーで、大地震が起きた。地震のエネルギーはとても大きく、遠く離れた日本にまで津波が押し寄せてくるとの予報情報が気象庁から発表された。もっとも、複雑な海底の地形で干渉しながら届く津波を予想することはとても難しく、これまでに例のない規模で起きていた為、原口大臣は、Twitter上で予報情報を頻繁に呟いていた。なんとか津波の心配が収まった。その直後、マスメディアから原口大臣を非難する声が上がった。
原口大臣に「なりすまし」たユーザからの情報発信がなされた危険性は無かったのか?
Twitterでは、「なりすまし」を防ぐ方法として、「公式アカウント認証」が提供されている。

この公式アカウントは、取得段階でのなりすましの可能性までを考えれば、なりすましの可能性を完全に否定できるようには思えない。そのこともあってか、原口大臣は、今後の対応として政府公式アカウントの必要性について触れている。

一方、「なりすまし」を追求する一連の報道を見ていて、マスメディアが、ただただ、不要な不安を煽って、情報を受け取った人が適切な判断をする為に必要な情報をろくに伝えようとしないことには閉口してしまった。マスメディア自体、そのマスメディアの流通システムに流れる情報が間違っていた場合、誰の責任において間違いがなされたのか明示したことはない。

インターネットであれ、マスメディアであれ、結局が、問題が起きれば、その中心には誰かがいる。誰が関わって起きたのかを明示することが無い限り、問題の本質が改善されるされることはないように思う。

ここで、現政権において、こうした問題対策の責任者でもある原口大臣のネット社会の将来に向けた取り組みについて触れておきたい。

その前に、この続きを読まれる方は、「世界の中心で呟くこと」を読んでみて欲しい。そして、再び、このページに戻ってくる際には、「存在証明」の意義について考えてながら読み進めて頂けると、都合が良いと思う。

(お帰りなさい。)

では、ネット社会の将来について考えてみよう。

まず、最初に断っておくべきことがある。僕は、ネット社会の将来について、このブログだけですべてのことを語れると思っていない。然し、多くの人達が闊達な議論を行えるようにする為の素地を作ることが、現時点では、まずなによりも大切だと思っている。だから、善い、悪いの判断ではなく、敢えて、いろいろな事例を挙げながら考えてみたいと思う。

それでは・・・

原口大臣のなりすまし騒動が、この発表(「番号に関する原口五原則について(PDF)」)を前にして意図的に行われていたとしたら、とても画期的なんだろうけど、敢えて、これらの時系列の詮索は横道に残しておく。

まず、このPDFファイルの内容に目を通して欲しい。非情にシンプルな内容で、これを渡されてすべてを理解できるような人はいないと思う。そして、僕は、この資料についての噛み砕かれた報道を、今のところ、見ていない。

なので、僕なりに噛み砕いて考えてみようと思う。ぜひ、今後の参考に読んで欲しい。

番号に関する原口五原則について(PDF)」の番号とは、「国民ID」と呼ばれるものを指している。

国民ID」について、僕なりに簡潔な説明を行うとしたら、
日本政府公認の「Twitter公式アカウント認証」のようなもの。
ということになる。勿論、これは、たとえでしかないが、「国民ID」は、これからの社会の様々な場所で、
僕が、日本人であるかどうか、本物の僕かどうかを証明する。
手段になる。つまり、「国民ID」を利用することは、「日本国民としての存在証明」を得ることと同じ意味を持つ。

国民ID」の概要については、番号に関する原口五原則について(PDF)」の内容の検証を含めて、これから、ブログの中で、折に触れて噛み砕いていきたい。

ちなみに、この「国民ID」に近い思想を持った技術として、「OpenID」がある。

OpenIDは、活動的なネットワーク・ユーザであれば、既に利用可能なサービスである。原口大臣の「番号に関する原口五原則について(PDF)」に対して、米国OpenID Foundation副理事長、崎村夏彦さんのブログ、「原口5原則とOpenID」を紹介ておきたい。崎村さんのブログはとても興味深い考察がなされているので、是非読んでみて欲しい。

また、崎村夏彦さんは、「国民ID配布の課題」というブログも書かれている。こちらのブログは、「国民ID」を実際に配布する段階で、どのようにして本人確認(存在証明)を行いながら適切な配布を行うべきか、その課題がまとめられている。併せて、是非読んでみて欲しい。

「存在証明」は、ネット社会における僕たちの権利を確立するで最も重要なことなので、これに関することは、これからも書いていこうと思う。

世界の中心で呟くこと。

世界の中心で呟くこと。
僕の呟きは、世界の人の目に触れる状態にある。

Twitterのようなソーシャル・ネットワーク・サービスを利用していると、何気なく呟いた言葉に、他のユーザから返事を貰うことがある。なぜ、こんなことが可能なのか?サービスどのように作られ、他のサービスとどのように連携しているのか、正しく理解できていれば、冒頭の一行は、何も驚きに値しない。

ネット上のすべての情報は、探そうとする意志さえあれば、いつでも、どこからでも、辿りつける状態にある。
2010年2月16日、Googleは、TwitterGoogle バズを利用して発信されている情報(呟きやバズ)に対するリアルタイム検索を発表している(「リアルタイム検索で今この瞬間を検索」)。
つまり、僕の呟きは、世界中の人の目に触れることができる状態にある。

Twitterサービスでは、アカウントとそれに連動したホームページのアドレス、URI(Universal Reference Indetifier)が重要な役割を果たしている。

例えば、僕のTwitterアカウントに対応したホームページは、以下のようになっている。
http://twitter.com/bugsworks
このURIは、インターネット上にひとつしか無い。

だから、このホームページの所有者(つまり、僕)が実在し、そのIDやパスワードが盗用されない限り、僕の呟きはすべて、ここから辿ることができる。そして、僕が間違いなくTwitterユーザであると「存在証明」できれば、僕が他のサービスを利用し始めた時、そのことをTwitter上で説明すれば、新しいサービスを利用している僕らしきユーザが僕らしい、という確からしさを与えてくれる。つまり、僕がTwitterユーザであると「存在証明」できるということは、「インターネット上にある僕に関わるすべてのモノの存在証明」ができる(かもしれない)ということ。

今後、このような「存在証明」は、とても重要になる。

ちなみに、Twitterの利用暦の長いユーザでも、自分の発信した情報を後から削除することで、情報を削除できると思っている人がいるかもしれない。しかし、情報を恣意的に削除したからと言って、自ら発信した情報のすべてが削除されるかと言えば、その保証はどこにもない。つまり、Googleをはじめとして、一度インターネット上に公開された情報のすべてが検索対象となることは、とても大きな利便性をもたらす一方で、大きな問題を引き起こす可能性がある(その原因となる「ネット・キャッシング」の問題については、機会があれば説明する)。